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外交評論家 加瀬英明 論集
私達が日常、相手を指すのに使っている言葉の種類も、多い。「あなた」「きみ」「お前」「先生」「先輩」「社長」「お客様」といったように、自分と相手との関係によって、変わる。自分の絶対値を持つことがない。集団の一員であることが、優先される。
日本では、自分は自分のなかにあるよりも、人々のなかに置かれている。自他のあいだに、境を設けたくない。世間によって、つねに生かされているのだ。
そこで、自分がつねに周囲によって、変わることになる。自分を周囲の人々に、預けている部分が大きいのだ。日本の優しさである。
私は英語屋であるので、英語を書くことが多い。You、he、she、they、はみな、小文字«スモール・レター»で用いられているのにかかわらず、自分(I)だけを、大文字«キャピタル・レター»で書かなければならない。話すときにも、I をはっきりと発音しなければならない。そのたびに、日本人として違和感を覚える。
日本人は太古の時代から、協調しあう和の民であってきた。
西洋であれ、中国大陸、朝鮮半島であれ、つねに政情が安定することなく、抗争が絶えなかった。そんななかで、人は周囲の人々に気遣いするよりも、何よりも、自分と家族を守らなければならなかった。
ところが、日本では和の心が同質な国民をつくったから、他人を警戒しない。そのために、日本では明治に入るまで、「個人」という言葉が、存在しなかった。
日本では、子どもを育てる時には、「みんなと仲良くしなさい」と教える。韓国では、「一番になりなさい!」«イル・テウンイ・テオラ»「負けるな!」«マジマ»と、いう。中国では子どもを、「他人に騙されないで」といって、送り出す。
このごろの日本の若者のなかには、「わたくし」といわずに、どのような状況にあっても、自分を指して「ぼく」という者が、少なくない。
日本語の最大の特徴は敬語にあり、敬語をなくしてしまったら、日本語の美しさが失われてしまうことになると思う。
だからといって、このような若者たちが、西洋人のように永久に変動しない「私」をもっているわけではない。多くの家庭で正しい言葉遣いを、教えていないだけのことだ。
日本では、「私」をもとうとすると、”マイホーム型“とか、”マイホビー型“のように逃避的になってしまうことが多い。だからこそ、カタカナ英語で、「マイカー」とか、「マイルーム」とか、いわなければならない。
集団に背を向けることによって、自分を確立しようとするのだから、落伍者であって、日本人らしくもないし、といって、西洋人らしくもない。
日本では自他の境界が、はっきりとしない。人と人のあいだの軋轢を、最小限度に抑えようとする、高度な文化だといわねばならない。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 第7章 やまと言葉にみる日本文化の原点