トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ フィジーと日本の海洋民族としての共通点 〔後編〕
外交評論家 加瀬英明 論集
私たちは大陸の人々と違って合意を尊び、絶対主義を恐れてきました。私たちは真理の追究に、強い関心をいだきませんでした。
しばしば、真理を装って、人々や、異なった考かたを抑圧することが起こります。島の民は功利的です。
私達は正義よりも、和を重んじます。正義も、真理と同じように、残酷な振る舞いをもたらしやすいものです。
日本は経済が発達した、いわゆる先進国のなかで、精霊信仰≪アニミズム≫か、多神教を信仰している、たった一つの国です。
フィジー人はキリスト教が伝来すると、土着の信仰と習合させ、エホバとイエス・キリストが双子の神であるナ・ジリであると解釈しました。日本でも、仏教の神々が、神道の神々になりました。
島の民は、自由な精神をもっています。大陸では自己中心的で、傲慢な態度が幅をきかせていますが、島の民は海の水平線の彼方から、見たこともない宝がもたらされることに憧れます。海原は、宝を運んできます。
異国の物や、考えを拒むことがありません。島の民は、自己が絶対に正しいと思いあがることがありません。
沖から吹くやさしい潮風は、和やかな精神を培います」
私は、このように話を締めくくった。
日本の寺院の建築様式は、中国の影響を受けているものの、神社建築は原型が古墳時代に遡るもので、屋上で交差する千木や、高床式であるところが、ボルネオなどの南洋の住居の様式と、よく似ている。
日本では、つねに合議制が行われた。日本神話では神も神議る≪カムハカル≫と言って神々が相談して物事を、決めている。江戸幕府をとれば、三人か、五人の奇数の老中が合議して、決定を下した。
日本では、上に立つものに従うのではない。上に立つものが合意によって選ばれ、コンセンサスに従うのだ。
私は、インドネシアのジャワ島の中部にある、仏教の壮麗な遺跡であるボロブドゥール寺院を巡ったことがある。
上にのぼると、見渡すかぎり緑の樹海と、稲田がひろがっていた。稲の花の香りが伝わってきて、日本を思った。
私は日本とこの国の歴史を、較べた。インドネシア諸国の民は、ヒンズー教を信仰していた。仏教が伝来すると、ヒンズー教にとって代わった。その後、イスラム教によって支配されて、今日にいたっている。仏教は遺跡にとどまっている。
ヒンズー教は、インドネシアの民族芸能であるワヤン・クリ(人形影絵劇)に生きている。ワヤン・クリは演目を、古代インドの抒情詩からとっている。信仰として、ヒンズー教はバリ島だけに残っている。
日本は外来宗教が渡来した後にも、神道が人々の信仰であり続けた。そのために、日本人らしさを、失うことがなかった。
神道こそ、2000年以上にわたって、日本人を日本人たらしめてきたのだ。
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