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米国のアカデミー賞で『オッペンハイマー』が作品賞、監督賞など7部門で、日本からの『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』が視覚効果部門で受賞したのは日本人にとって感慨深い。原爆を開発するマンハッタン計画の責任者だったオッペンハイマーは実験に成功し、広島・長崎への投下で終戦をもたらしたと米国中から賞賛を浴びた。しかし、戦後は核開発に反対し、共産主義者だとされて失脚、議会でも追及された。天才科学者の苦悩や葛藤を核爆弾のすさまじい破壊力を見せながら描いている。『ゴジラ-1.0』はセットでの撮影とコンピュータグラフィックスを組み合わせた迫真の映像で、資金力で勝る米国作品を抑えた。
『ゴジラ』は第1作が1954年に東宝で製作された。原爆投下の記憶がまだ生々しく残るこの年に、静岡の焼津を出港したマグロ漁船が、ビキニ環礁(現・マーシャル諸島共和国)で米国の水爆実験による死の灰を浴びるという事件が起こり、映画の構想のもとになった。核の恐怖を訴える姿勢は随所に見られ、水爆実験で変異して表皮がケロイド状になったゴジラ、吐く息は放射能の熱線と化して人間たちを襲う。最後は平田昭彦演じる芹沢博士が開発した「オキシジェン・デストロイヤー」という水中酸素破壊機を使ってゴジラを殺害する。この武器使用を博士がためらう姿はオッペンハイマーとも共通する科学者の良心だ。
この映画で初めて主役に抜擢された宝田明は試写を見て大泣きしたという。「単純にひとりの観客として、純粋に心をゆさぶられたんです」「出演者の想像力をはるかに超える感動や深みを、完成した映画は持てるんだ、ということを改めて知る思いでした」(ちくま文庫『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同期生』より)
11月に封切られた『ゴジラ』は初日の観客動員数が新記録となるほどの人気を集めた。当時、小学生だった私は、早速見てきた同級生が興奮さめやらぬ口調でゴジラを語っていたのが忘れられない。
「ちょっと怖いな」と思い、実際に見たのは数十年後になってしまった。その時でも宝田の言葉に重なる強い衝撃を受けた。
その後、多くのゴジラ映画が作製され、他の怪獣との対決などにテーマが移っていった。『ゴジラ-1.0』では第1作への原点回帰が感じられるから、オールドファンにもおすすめだ。
山田洋
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