トップページ ≫ 社会 ≫ 特別企画 ~水のスペシャリスト下村政裕からのメッセージ~①
社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
背景(Background) ~再登場の動機と若き頃~
水道とは何? どんな役割を持っているの? その歴史は? そして、水道のこれからはどうあるべきなのだろう? 皆さんとともに、水道というものを見つめ直してみたい、皆さんと一緒に水道のこれからのことも考えてみたい、との思いから、再びペンをとることにしました。
埼玉県南水道企業団の時代から40年弱にわたって、現在のさいたま市に暮らす方々に、お仕事をされている方々に、蛇口から出る安全な水道水を使っていただいて、衛生的で快適な暮らしをしていただこうと、水道事業という井の中で葛藤してきた一匹の蛙が、今の心境を、これから、定期的につぶやいていきます。
クオリティ埼玉の電子新聞には以前に、ブラジルのサンパウロから、レポートを載せていただいたことがあります。当時は、さいたま市水道局の職員で、厚生労働省からの推薦を受けて、独立行政法人国際協力機構(JICA)の水道関係のプロジェクト専門家としてサンパウロに3年間、赴任をしていた時のことです。
なぜ、一地方の水道職員が海外に?そんな疑問もわいてくると思います。そのようなことも含めて、これからつぶやいていきます。
先ずは、自己紹介から始めますが、名前は下村政裕、歳は64歳です。仲間の皆さんからは「ひろ」と呼ばれていますので、皆さんもそう呼んでください。
生れは渋谷の日赤病院だったと親から聞いていましたが、育ちは、東京都練馬区の石神井公園です。公園側ではなく西武線の北側、私の小学生時代でも、依然として広大なキャベツ畑や麦畑に囲まれた、当時の田舎に開発された新興住宅地で育ちました。新興住宅といっても60年も前のことですから、水道もガスも、もちろん下水もない。自家用の井戸、プロパンガスで炊事、お風呂は薪とコークスで沸かしていたと記憶しています。少し近代的な暮らしができるようになってきたのは、昭和40年代に入ってからの私が中学生のころで、公共水道や都市ガスが入り、道路も舗装されましたが、下水については、更にその後、大学生のころだったと思います。
中学生の頃、現在の練馬区光が丘にあったアメリカ軍の基地、グランドハイツに、自転車で行き、何度かアメリカ人の子供たちと遊んだことがあります。その経験をきっかけに英語や海外に住むということに、すごく興味を持ちました。
土木工学を学んで後楽園にある大学を卒業したのは1976年。昭和51年のことでしたが、当時は大変な就職難の時代でどこも新規採用ゼロ(これは都合の良い言い訳ですね。勉強が嫌いで成績が悪かったというのが本当の理由です)。私も、両親にも許しを請うて就職浪人を覚悟しましたが、卒業式の日に、ある教授から「まだ就職先が決まってないやつはいるか?」との問いかけがあり、運良く就職先が決まり、水道の井の中の蛙、「ひろ」が誕生しました。
バックナンバー
新着ニュース
- 老朽化が進む埼玉県庁と下水道管(2025年02月15日)
- 第22回人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり(2025年01月12日)
- ジャンプだけでは痩せない(2025年02月07日)
- 二院制はどうなったのか(2025年01月10日)
特別企画PR