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女性の品格がベストセラーになって、次は誰かが男性の品格を描くのかと思っていたら、流石にそんな厚顔の男性はいないようだ。品格を唱えるためには、その人に充分な品位が備わっていなければならないが、それ以上に自分のことはそっちにおいて、他者の品格を説くことは通常の神経をもっていればできないことだ。
当然のように、「国民の歴史」の著者で評論家の西尾幹二氏が著者の坂東真理子氏にかみついた。ジェンダーフリー論者の彼女のあり方からの批判だったが、小子には坂東さんを攻め立てる気はない。しかし、この本を見て、表題を「女性の作法」ぐらいにとどめておけばよかったかなという率直な感想をもった。作法を説くのは、多少本人に無作法があっても仕方あるまい。それこそ人間だから。人と会う時に、いろんなしぐさをして、多少の非礼があったとしてもそんなに攻めなくても、というのが人情だ。要は、こと「品格」を説くとなると問題が違ってくるのだ。
坂東氏は官僚のキャリアで、埼玉県の副知事、昭和女子大の学長。人の品格など言っていたら、身が縮んで何もできなくなってしまうと思う。本来、人は人を裁けるものではない。そして、人の道を説くほど完成なぞされてはいない。だからおもしろいのだ。抜けて、おかしみがあってこそ真の人間だ。一人の人間が、国家や自治体の品格を問うことはよい。国家と人間とは根本的に異なるからだ。
ただ、救われることは、坂東さんが文芸春秋のなかで“私に品格なんて問う資格があるのかな”なんていう意味の発言をしていることだ。
自らに厳しく、他者にやさしいのも、品格のうちの一つだと改めて感じた。