トップページ ≫ 社会 ≫ 老後を豊かにするには五七五七七 急逝した歌人の遺言
社会
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2月に歌人の小高賢(本名・鷲尾賢也)氏が急死し、新聞各紙でその死を惜しむ記事が載ったが、これには正直言って私は驚き、やがて自分の不明を知った。彼とは出版社の中途採用の同期で、配属先も同じ男性週刊誌の編集部だった。ともに1944年生まれで彼のほうが2か月早かった。十数年前に鷲尾君が短歌の世界で活躍しているのを耳にしたが、私は短歌には関心がなかったし、彼のイメージと短歌とが、どうにも結び付かなかった。
新入社員時代に、「週刊誌の仕事は嫌だ」と言いながらも、頭の中から捻り出したようなユニークな企画を立案していたし、議論好きで、大きな声で自説を開陳していた。週刊誌編集部には長居せず、希望どおり学芸書の編集部に異動した。所を得た彼は持ち前の頑張りで実績を積み重ね、最終的には役員に就任した。
本人も「仕事好き」を自認していたが、照れもせずにそう言うことに稚気さえ感じた。お兄さん(元連合会長の故鷲尾悦也氏)とは違って労組活動に足を踏み込むことはなかった。短歌と彼の組み合わせがしっくりこなかったのは、お喋りで思っていることをズバズバ言う男が、あえて自分の思いを31文字に凝縮する必要があるのだろうかという疑問だ。頭の中で作り上げた世界を詠んでいるだけなのではとも思った。
訃報に接し、追悼の気持ちから彼の著作を数冊読んでみた。2006年に刊行された『現代短歌作法』(新書館)では短歌の作り方を具体的に説明するとともに、自分の短歌歴を率直に披露している。
彼と短歌の出会いを作ったのは馬場あき子さんだが、彼女の『鬼の研究』という民俗学書に魅かれて歌人とは知らずに訪ねて行ったのが始まりだそうだ。「ためしに作ってみなよ」と言われ、つい作ってしまったが、深入りする気はなかった。すでに30歳を過ぎ、妻子もあった。ただ、若い者には負けられないという意地があり、だんだん深みにはまっていった。早く辞めとけばよかったと、何度も後悔したという。それでも続けたわけを「何となく社会や時代にいづらかった。仕事のなかでそれを解消しようとする。おそらく友人たちもそうだったのだろう。しかし、完全には納得がいってない。そのとき、短歌は沁みるように身体化してくるのである」と述懐している。
彼の著書には歌集だけでなく短歌評論が多い。時代的、社会的背景を踏まえて、作家と作品を分析していくのである。学生時代に近代政治思想史の丸山眞男の影響を受けたこととも関係があるのだろう。「歌人は歌は作れても文章を書けない人が多い」と言っているように、このジャンルこそ彼の独壇場のようだ。短歌に無関心だった私まで短歌の世界に引っ張り込まれそうな理論を展開している。歌人に対する評価も、はっきりした自論を述べている。
そして岩波新書『老いの歌』(2011年刊)では超高齢化社会における短歌の有効性を強く訴えている。新聞や雑誌の投稿欄、さまざまな短歌大会を含めて、年をとってから始める人が急速にふえていて、作品は個性的で多様性に富んでいるという。短歌という表現手段が老いの表現意欲に合っているようなのだ。作品を通してわかるのは老いの実態はそれほど単純なものではないということだ。
しかし、老いの歌を究める前に鷲尾君は亡くなってしまった。初めて彼の著作に触れ、かなり刺激を受けた私は、言い知れぬ寂しさを感じている。
(山田 洋)
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