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外交評論家 加瀬英明 論集
日本文化のもっとも大きな特徴は、自らを抑えることにある。これほどまで自制することを尊んでいる文化は、世界に他にない。武道、茶道、舞踊から、和装まで、起居振る舞いにおいて、自制する美しさが強調されている。
日本語には、中国語、朝鮮語や、ヨーロッパ諸語と違って、罵倒語がほとんどない。
日本人は人や、事物や罵倒したり、口にだして呪うことが、不得手だ。中国人や、韓国人や、西洋人と違って、めったに癇癪を起すこともない。罵る語彙が乏しいことも、日本語の大きな特徴となっている。日本語には「畜生」「糞」「馬鹿」「阿呆」「頓馬」をはじめとして、せいぜい、十くらいしかない。
ところが、中国語や、朝鮮語や、ヨーロッパ諸国には、おびただしい数にのぼる罵倒語が存在している。日常の会話のなかで、罵り語が多く発しられる。
ジョン・ケネディ大統領が暗殺された直後に、アメリカの伝記作家として有名なウイリアム・マンチェスターが、ケネディの死について本をまとめて、緊急出版したことがあった。アメリカの有力な『ルック』誌が要約して連載したのを、『週刊新潮』が版権をとった。
私がその訳者をつとめたが、ケネディ大統領とジャクリーン夫人が会話のなかで、「シット!」(小便)とか、「ビッチ!」(雌犬、あばずれ女)をはじめとして、日本語であれば聞くに堪えない罵倒語を、つぎつぎと発するので、日本語に訳しようがなく、困惑したことがあった。
中国人や、韓国人や、欧米人はニ十分でも、三十分でも休みなく、相手を罵り続けることができる。キリスト教にとっての旧約聖書———ユダヤ人にとって唯一の聖書を読むと、罵り、呪う言葉に溢れているので、気性が激しい民によって書かれたことが分かる。
エドワード・モースは『日本その日その日』のなかで、こう述べている。
「汽車に間に合わせるため、急がなければならなかったので、途中、私の人力車の車輪が、前に行く人力車に甑(軸)にぶつかった。車夫たちはお互いに邪魔したことを、微笑で詫び合った丈で、走り続けた。私は即刻この行為と、我国でこのような場合に必ず起る罵詈雑言とを、比較した。何度となく人力車に乗っている間に、私は車夫が如何に注意深く道路にいる猫や、犬や、鶏を避けることに、気がついた。
また、動物に対して癇癪を起したり、虐待したりするのを、見たことが無い。口小言をいう大人もいない。これは私一人の限られた経験を——もっとも常に注意深く観察していたが——基礎として記すのではなく、この国に数年住んでいる人々の証言によっているものである」
ブルーノ・タウト(一八八〇~一九三八年)も、同じことを記している。タウトはドイツの高名な建築家だったが、昭和八(一九三三)年から、日本に三年間滞在した。
「私はこの旅行を通じて、自動車の運転手がどんなに辛い目にあっても、悪口一ついうのを聞いたことがない。こんなときに日本人は、罵詈の言葉を吐く代わりに、笑って済ませるのである。
日本人は自分が辛いからといって、子供や、動物をいじめたりしない。辛抱づよくじっと我慢して、不機嫌な気持ちをあからさまに示さないのである」
徳の国富論 資源小国 日本の力 第四章 売り手よし買い手よし社会よし