トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 天の岩屋戸伝説で特徴的なこととは
外交評論家 加瀬英明 論集
日本神話は、日本民族がまだ文字をもっていなかったころから、代々にわたって語り、聞き継がれてきた。日本神話を読むと、今日でも、日本人はあの時代から、ほとんど変わっていないことを教えられる。
太陽神であるアマテラス大御神が、天岩屋戸のなかに籠ってしまうと、高天原だけではなく、全世界が漆黒の暗闇に閉ざされてしまった。
八百万の神々が、天の安の河原に集まって、いったい、どうしたらよいか、慌てて相談する。神々が協議することを、神議るという。
アマテラス大御神を天岩屋戸から、どうして、おびき出せばよいのか、さまざまな知恵が講じられる。
その一つに、長鳴鳥を鳴かせることがあった。ニワトリの雄鳥が朝を告げて、声を長くひいて鳴くことから、そう呼ばれた。だが、功を奏しなかった。
万策きわまったところで、女神のアメノウズメノ(天鈿女)命が「胸乳を掛き出て(乳房をあらわにし)」て、裸身の踊りを演じた。すると、八百万神が、「高天原に動りて(鳴りひびくほど)」、どっと、笑いどよめいた。
アマテラス大御神が好奇心をつのらせて、いったい何が起こったのか、重い岩屋戸を少し押し開いて、覗いた。
そして、よく見ようと、半身をせりだしたところで、アメノタヂカラオノ(天手力男)命が、大御神の手をとって、力いっぱいに、引き出した。高天原と世界に、再び光が満ちた。
この天岩屋戸の物語は、きわめて日本らしい。他国の神話に、みられないことだ。
八百万の神々が、天の安の河原に「神集ひ集ひまして」神議るのだが、このなかに指導者がまったくいない。他の民族であれば、全員をまとめて決定する。力をもった者がかならずいる。
聖徳太子が、そのはるか後の推古天皇十二(六〇四)年に、『十七条憲法』を制定して、第十七条で、「重要なことを、ひとりで決めてはならない。大切なことは、全員でよく相談せよ」と、定めている。このような伝統精神は、神代のころからあったのだった。
「神話」という言葉も、明治に入るまでは、日本語のなかに存在しなかった。
「神話」も、英語のミソロジーmythologyをはじめとする、西洋諸語を訳するために造られた、翻訳語である。
徳川時代が終るまでは、「ふるさと」といった。古言という漢字が、あてはめられた。
「神話」よりも「ふるさと」のほうが、心に近いと思う。
私は明治二十五(一八九二)年に発刊された「雙解英和大辞典」(東京共益商社、一二八八ページ)を、古本屋で求めて秘蔵しているが、mythologyをひくと、「神祇譚、神代誌、神怪伝(異教ノ)」としか、出てこない。
また、指導者に当たるリーダー leaderをひくと、「案内者、嚮導者、先導者、指揮者、首領、率先者、巨魁、総理、首唱者」と説明されている。まだ、「指導者」という言葉がない。
今日では独裁者という言葉も、すっかり定着しているが、ディクテーターdictatorをひいてみると、「命ズル人、独裁官、主宰官(危急ノ時ニ当リテ一時全権ヲ委ネラレタル)」としか、説明されていない。
神話が堅苦しいものだと、思ってはならない。日本神話はおおらかで、古代人が奔放に発想していたことが分かる。
イザナギ、イザナミの二神が「あなにやし」と、互いに誉め合う前に、二神は男神に「成り成りて、成り余れる処一処」があって、女神に「成り成りて、成り合わざる処一処」があると、互いに語らせている。
先を読み進もう。
「遂に合交せむとす。而も其の術を知らず。時に鶴鴒有りて、飛び来りて其の首尾を揺す。二の神、見そなはして学ひ、即ち交の道を得つ」
ニワクナブリは、セキレイの古名である。尻尾を「俄尾振り」に上下にせわしく振るから、そう名づけられた。そのために、小語で、「教鳥」「恋教鳥」と呼ばれた。
イザナギ、イザナミの二神は、童貞と処女だった。セキレイにどう交ったらよいのか、教わったのだ。男女の千早振る(勢いのある)神も、大事なことを知らなかったのだ。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 四章 日本神話の独特な世界
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