トップページ ≫ 未分類 ≫ 幸福と友愛幸福の科学と民主党の危うさ
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先頃、宗教法人 幸福の科学が政党を立ち上げた。タレントの小川知子さんが浦和にもやってきた。集まった人たちは女性が大半で、それなりに品格を持ち備えている女性達が多かったように見受けられた。すでに、公認候補も数人決定していて、来たる総選挙には選挙区、比例区にかなりの候補者を擁立して戦いに挑むのだそうだ。
「幸福実現党」。もちろん、かの大川隆法氏の党だ。幸福の科学という宗教団体ができたとき、小子は感心したりしたものだ。”幸福と科学を結びつけるなんて、この大川隆法さんはネーミングの天才でもあるな”なんて。ほとんどの新興宗教は、今日までの様々な宗教の教義をガラガラポンしているといっても過言ではない。しかし、幸福の科学はガラガラポンに妙な論理性をもたせて説くものだから、インテリ層にも食い込んで、教祖の本はそれなりに売れている。
どちらかと言うと、出版を通して信者を拡大しているといったほうが適当かもしれない。公称10万人とも20万人ともいわれる信者がいるそうだ。
ともあれ、この教団がつくった「幸福実現党」というネーミングに、民主党の党首が説く「友愛」が重なってしまうのは、小子だけだろうか。
かつて、おなかの調子を狂わした安倍(元)総理は、「美しい国」とのたもうた。
幸福だとか、友愛とか、美しいという言葉は政治の枕言葉としては、どこかに空々しさを感じさせて、真実味と重さに欠けてしまって、むなしさだけが残ってしまうような気がしてならない。そもそも政治の要諦は、人々の生活の安定にある。まずは経済的安定だ。経済的安定なくして、幸福も友愛もありえない。美しいなんて絵空事だ。全てのネーミングはその時代を象徴してできあがっているとしたら、現代は、愛も幸福も美も、みな不毛の時代なのだろう。そんな時代にさせたのは政治の怠慢からだ。年金も医療も不安だ。農業も環境も危うい。友愛も幸福もその彼方のほうにある。人間の心理を巧みについた言葉やネーミングは快いが、どこかに深い罠があるように思えてならない。民主党は次の政権に最も近い党だ。いまさら、照れてしまうような言葉をもって政権をとろうなんて、危ういではないか。