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コラム …男の珈琲タイム
聖書の知識はまったくといってないが、全てに時があるというのは旧約聖書からきていると知った。
時は薬なのだ。やがて時が癒してくれるのが人生だ。焦ると薬が効かなくなる。丁度の時を待つのだ。まあタイミングといってもいい。ちと軽くはなるが。
タイミングを逸した愛の言葉はお笑いもんだ。逆は凄い。相手の心に電波が走っていくのだ。
馬鹿な人は、男も女もうかばれない。時なぞまったくわかっていないからだ。会津藩の悲劇も時を見失ってしまったからだ。殿様にどんな忠誠心があっても、徳川の時はすでに滅びかかっていたのだ。
そこへいくと小池さんは昔も今も時を味方にしてしまっている。時を得た女は蛇のように賢く、ずるく、いかにも平和が大好きなポーズをとれるのは、古今東西変わっていない。もし、この女帝が時を失い野望のみに走ったら、神は逃げるに決まっている。神は細部に宿るという。細部に細心の注意をもってのぞめば、時と神は長い間味方になってくれる筈だ。
一方、何んとかという政党の党首候補は国籍の問題で時を味方にできるのかどうか。何も党首になれば成功者ではない。時を選んで戦えばよかったのにと、いまさらながら思っている。