トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話2013.9.11
コラム …埼玉の余話
覚悟という言葉が安売りされているような気がしてならない。参議院議員、二期目の栄誉を勝ち得た行田邦子女史の祝賀会でも、女史の口から「覚悟」が何回もとびだした。来賓の渡辺喜美代代議士も同じだった。はて、?覚悟がそんなにあるなら政党を何回も変える必要はなかったのではないだろうか。変えるたびに覚悟を真剣にもっていたとしたら、身も心ももたないからだ。覚悟とは道理を悟り、心をきめてしまうことだから。一つの道での何回もの覚悟は100パーセントありえない。もし仮にあるとしたら、覚悟の覚だけで充分だ。男子、ひとたび覚悟をしたら、死ぬことまで考えることだ。だが、男子ではない女史だから良いのだと反論されそうだが、男女に関係なく覚悟ほど重たいものはないのだから、軽々に口にだしてはならない。身命を睹した姿でみせるべきだ。それにしても、現今の政治家で真に覚悟をもって政治に身を睹している者がいるのだろうか。あまりにもすくないから、覚悟という言葉すら聞こえてこない。だとすればせめて言葉にだしている行田女史はましなのだろうか。頭が痛くなってくる。