1940年2月2日第75帝国議会で、斎藤隆夫代議士が放った、日中戦争処理に関する政府批判演説をご存じか。
一枚の録音盤が残っている。それを聴いたことがある。
政府糾弾の国会演説。他代議士たちの猛烈な怒号と罵声が、そこから飛び出してくる。
「聖戦の美名に隠れて、曰く国民主義、道義外交、共存共栄、世界の平和等、雲を掴む様な文字を並べ立てて国家百年の大計を誤るような事あれば、政治家は死してもその罪を滅し得ない。この事変の目的はどこにあるか」
「国民は悲憤の涙を流しつつ従順に、黙として政府の統制に服従し、事変を解決すること期待している。かかるに事変以来二年有半の間に内閣は三度も総辞職し(近衛・平沼・阿部)、政局の安定すら得られない状態でどうしてこの国難に当たる事ができるか」と斉籐は強く訴え叫んでいる。
戦争前夜、圧力統制に屈せず一命を賭し、軍の政治介入、政府、議会の堕落を糾弾した国会演説は衝撃を与えた。
泥沼化する日中戦争、事態打開の解決策示せない政府、軍部の政治介入に指を咥える政治家たち。
斎藤は、戦争で疲弊し切った国民の気持ちを代弁し、国会壇上で叫んだ。
しかし斎藤へ与えられたのは、他代議士たちからの卑劣で猛烈な怒号と罵声の嵐だ。
そして帝国議会議員除名という決定だ。国会はこの時から自壊したのだった。
時間はちょうど70年経っている。
埼玉県議会はどうか。議会制は深化しているのか。
互いの意見に真摯に耳を傾け、議会制民主主義の原点を忘れず、県民のため建設的な議論をする場所であることを県議会議員はみんな強く自覚をしているか。
そもそも議員の演説は、他を意識せず、自らの信念を貫徹し、執行部の暴走独走を防ぐためのものだ。
執行部と丁々発止渡り合うところにその意義が歴然とある。誰にもおもねることなく命がけでなければならない。
2009年今年の12月、埼玉県議会において、佐藤征治郎県議が行った、県政に対する一般質問の最中の議場内の騒然とした野次の嵐はまったくひどいモノだった。
佐藤の質問は怒号で遮られ、内容がよく聞き取れないところさえあった。
議会は、相手を打ち崩すようと見苦しい怒号を放つところではない。自民党のそれも青年県議から特にそれは放たれた。政党や議員がお互いに切磋琢磨するところに議会制民主主義の狙いがあるのがなぜわからないのか。そう思われた。
ついに傍聴席から大きな声が飛んだ。
「静かに聞け」。
どうにかならないものだろうか。
県議会も自壊しないことを念ずばかりだ。
斉籐は当時71歳、佐藤も今年同じ歳になる。



