トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話2014.9.5 「先生とクモの糸」
コラム …埼玉の余話
政治家の失敗は全て自分のうしろ姿を写す鏡をもたないところから出発している。
近頃の号泣議員をはじめとした地方政治家達の失態は目を覆うばかりだ。ある県庁の幹部は断言した。「相手に尊敬心を持たず、自分に謙虚さをもたぬ人はもはや議員さんとは呼べませんね」と。しかし、県庁職員はそんな議員でも先生、先生と頭を下げているのだ。だから、余計地方議員は調子にのって舞いあがるのだ。
本来先生とは肩書きに対してというより、自分の先輩で、しかも尊敬できる者への呼称である筈だ。県議同士が先生と呼びあっているのはある種、こっけいなる光景だ。呼ぶ方も呼ばれる方もおよそ先生からは遠い存在なのが昨今の例だ。
早く先生と呼ばれたくて来年の統一地方選を目指している者が数多いるが、どうみても荒涼とした光景の中で、人間の尊厳からは程遠い未熟な人々が芥川の「クモの糸」のカンダタのように、先生につながる糸にすがりついていこうとするみじめな幻のようなものが浮かんできて仕方ない。